ごあいさつ
沖縄県眼科医会のホームページ設立について
沖縄県眼科医会のホームページにアクセスして頂きありがとうございます。このたびホームページを立ち上げるにあたり、一言挨拶申しあげます。本会は沖縄県内で眼科診療に従事する医師により組織されています。
現在、会員数は123名で構成されています。本会は昭和55年正式に会則を制定し沖縄県眼科医会として、正式に発足しました。
ホームページの設立目的は、正しい眼科疾患の知識を県民の皆様に提供する事により、目の健康を守り、病気の予防や治療のお役に立てる事です。
また、会員に向けて速やかな情報の伝達を行って専門知識の向上を図るとともに、会員相互の理解を深めることを目的として開設することになりました。
県民の皆様には、具体的な個々の疾患に関しては主に日本眼科医会のリンクからの情報提供を致します。このホームページは立ち上げたばかりで不十分な点もあると思いますが、活用いただければ幸いです。
沖縄県眼科医会会長 知念靖
会のあゆみ
戦前、戦後を通じて眼科医は少数で、外科、内科、外科の先生が兼業したり、医介補の先生が眼科をしていた時期が長かった。
昭和53年頃は開業医9人、大学病院に2人、県立病院に2人いるのみであった。
その後、大学病院の眼科入局が少しずつ増え、また県立中部病院から眼科研修後の医師が出たり、また本土の大学卒業生の帰沖があり、充実していった。
会員が増えるにつれしっかりとした組織を作ろうということで、昭和55年(1980年)に会則を制定し、沖縄県の眼科医会として正式発足の運びとなった。
それ以前は眼科医の集まりとして定期的に会合して親睦を深めたり、医療情報交換の場としていた。
会員が増えるにつれ医会報も作ろうという機運が高まり、昭和61年(1986年)
眼科医会報が創刊された。
創刊時の会長は新里幸徳先生で会員数は41名であった。
その後会員は増加し、現在は123名となった。
目的と事業活動
目的
沖縄県眼科医会の事業は医療を取りまく状況の変化に対応するため、主に学術を中心に医療面での情報収集を行い、各々の医療機関が受診患者さんに最良の医療を提供すべく関連病院との連携、また、地区の眼科医会の活動に対する協力、さらには県医師会、地区医師会に対して眼科医会としての関係強化に取り組み、県民の目の健康を守るべく、会員の資質向上のための各事業を推進します。
事業活動
- 正しい眼科医療の啓発及び教育活動に関する事業
- 地域医療の発達向上と普及に関する事業
- 失明予防事業への協力に関する事業
- 会誌、会報に関する事業
- 会員の相互扶助に関する事業
- 目の愛護デーに関する事業
- 特定検診への参加
組織体制
会の組織
沖縄県眼科医会
会長 | 知念 靖 | |
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副会長 | 友寄 一 | |
理事 | 会計 | 外間 英之、城間 弘喜 |
学術生涯教育 | 石川 真、長嶺 紀良 | |
学校保健 | 大見謝 恒人 | |
広報 | 安里 良、江夏 亮 | |
保険 | 城問 弘喜 | |
勤務医 | 山内 遵秀 | |
医事対策 | 新垣 淑邦 | |
災害対策委員 | 安里 良、江夏 亮 | |
監事 | 比嘉 明、金城 美恵子 | |
日本眼科医会代議員 | 友寄 一 | |
日本眼科医会予備代議員 | 城間 弘喜 | |
男女共同参画 | 酒井 美也子 | |
審査委員 |
国保:宮平 誠司、仲村 佳巳、城間 弘喜 社保:中山 貞之、江夏 亮 |
|
広報委員会 |
安里 良、江夏 亮、知念 靖、友寄 一 外間 英之、城間 弘喜、石川 真 大見謝 恒人、山内 遵秀、新垣 淑邦 |
日本眼科医会
- 代議員
- 友寄 一
- 予備代議員
- 城間 弘喜
歴代眼科医師会会長名
沖縄県歴代眼科医会会長
昭和40年10月~昭和44年6月 | 外間忠雄 |
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昭和44年7月~昭和46年6月 | 石川敏夫 |
昭和46年7月~昭和49年3月 | 新里幸徳 |
昭和49年4月~昭和51年3月 | 安座間廉 |
昭和51年4月~昭和53年3月 | 稲福全一 |
昭和53年4月~昭和55年3月 | 外間忠雄 |
昭和55年4月~昭和61年3月 | 新里幸徳 |
昭和61年4月~昭和63年3月 | 照屋昌男 |
昭和63年4月~平成2年3月 | 外間英男 |
平成 2年4月~平成4年3月 | 石川秀夫 |
平成 4年4月~平成6年3月 | 古謝将昭 |
平成 6年4月~平成8年3月 | 比嘉弘文 |
平成 8年4月~平成10年3月 | 幸地賢治 |
平成10年4月~平成20年3月 | 山田義一 |
平成20年4月~平成22年3月 | 安里良盛 |
平成22年4月~平成26年12月 | 中山貞之 |
平成26年12月~ | 知念靖 |